文字のデザイン室 MOO : 文字について思う事
 
「豆太郎」を制作して
●レタリングとタイプフェイスデザインの違い

 初めて「書体づくり」を経験しました。長く書体作りを仕事にしている方の目からみたら、「不合理」「遠回り」の連続だと思います。又、私の浅い経験で、このようなタイトルの感想文を書くのは僭越かと思いますが、この間、試行錯誤の中で私なりに感じた事、気がついた事を書きたいと思います。

 レタリングとタイプフェイスデザインは制作上多くの点で共通していますが、まったく違うこともあります。レタリングはせいぜい数文字〜数十文字の決められた文字組を一枚の紙の上に書きます。したがって、その全体像が見えており、隣にある文字が決まっています。レタリングの文字は左右にどういう文字がくるのかでその文字のデザインが決まる事がよくあります。横線を隣の文字に揃えるとか、いっそ思いきってずらすとか。又、隣に大きなアキのある文字がくる場合ハネやハライがそのアキに向かってのびていったりします。
そうする事によってアキの白さを緩和し文字全体の濃淡のバランスをとる訳です。もちろん文字の骨格をくずさない範囲でですが…。文字のバランスは黒の部分もさることながら白(アキ)の部分が大切だと思います。

 たとえが適切かどうか分かりませんが、電車に乗って7人掛けのシートに7人すわっているとします。右隣りの人とぴったりくっついて左隣りの人との間にはアキがあるというのは居心地が悪いので、一度腰を浮かせて少し左にずれてアキを均等にすることがあります。すると左隣りのひともまた腰を浮かせて左にずれて調節したりします。こうして7人の人は7人掛けのシートにだいたい均一のアキで座ることになり、それが一番おさまりが良いといえます。
混んだ電車で立っているときも同じです。「アキを均一に保って下さい」などと車内アナウンスがある訳ではありませんが電車に乗っている人々は決められた空間の中で「最もおさまりの良い」「最も心地のよい」アキを自然に作っています。

 文字の場合も、均一に見えるアキのなかで骨格を保ち、文字のエレメントが萎縮することなくのびのび収まっているというのが基本的にバランスの良い文字といえるのではないでしょうか。(ただし、エレメントの萎縮を個性にした文字もあるので例外はありますが…)そしてそれらが成功していれば、レタリングは完成という事になります。
そして、タイプフェイスデザインの場合ですが、文字がどう組まれるのかわかりません。そしてなんといっても規模が桁はずれに違います。目と手は目の前の一文字にかかりきりですが、問題は全体の字種のバランスです。しかしその全体像がなかなか見えません。彫刻家が時々遠目で作品の全体像を眺め、又近くに寄っては細部を創るようにタイプフェイスデザインも全体を眺めながら制作できたらいいのですが…。

●豆太郎の原字づくり(書体名はまだついていませんでしたが)
 「豆太郎」の最初の一文字を描いてから5年位の歳月がたちました。5年の間、「豆太郎」の制作に専念していたわけではありませんが、書体づくりというのは気が遠くなりそうな根気のいる仕事です。そういえば細密画を描くイラストレーターの知人が言った事があります。「細かければ細かいほど描いていて楽しく、大変であればあるほど、ワクワクする」と。私には残念ながらそのような才能がないので、膨大な作業量に圧倒され、集中力を保つのに苦労しています。
 「豆太郎」を創りはじめた5年前、今のように一セットの書体づくりをめざしたのではなく日常のレタリングによく使いそうな文字を数百字選んで創っておこうと思ったのがきっかけでした。しかし少しづつ原字がふえるにしたがって、せっかく創るなら一セットの書体を創ってみたいという気持ちになってきました。
 始めの一文字を6cm角で描きました。そのため成りゆきでそのあとずっと6cmで描く事になってしまいました。今になってみるとこんなに大きく描かなくてもよかったと思います。その時は深く考えませんでした。 書体を創るというのは始めての経験です。培ったノウハウもないし、マッキントッシュも仕事でなんとか使ってはいますがあまり精通しているとはいえません。書体完成までどのような道のりなのか見通しはありませんが「とりあえず原字を創る」というところに落ち着きました。書体づくりは始めてでしたが、長くレタリングを仕事にしてきたので、その経験だけが頼りです。制作にあたって注意したことは1、部首のデザインの統一 2、黒さ(重さ)の統一 3、サイズの統一 4、雰囲気の統一。という事でしょうか。しかし、その統一が難しく、延々と試行錯誤をくり返しています。

 1、部首のデザインの統一
 漢字で繰り返しでてくる同じ部首は、全てがバラバラな形では全体的な統一感や完成度に欠けます。日常のレタリングの仕事ではこの「統一感」という事を意識する事はあまりありませんでした。初めは統一感を意識しながら一文字づつ描いていました。しかし同じ部首がかなりたくさん出てくるので、同じ部首をいくつか作って当てはめたらどうだろうと考えてやってみました。しかし微妙なところなのですが、どうもしっくりしません。「この微妙さは許容範囲の内だろうか。使って使えないことはないか」とフト思ったりもしましたが、やっぱりこの方法はやめました。では基本的に当てはめるとして微妙なところは微調整するというのはどうでしょう。しかし微調整がまた難しいのです。これまでの仕事の習慣と勝手がちがうのです。
 文字には一本の骨格が通っています。私の場合、まず骨格が先にあって、それに肉付けをするというやり方をしてきたので、たとえ微調整とはいえ肉のほうから骨格を見るということが出来ないのです。残念ですが、合理的でなくても私流にやるしかありません。しかしこの部分は今後の書体づくりに多くの課題を残したと思います。

 2、黒さ(重さ)の統一
 人の手は生き物です。5年という長い時間、手が同じ調子を保つというのは大変難しいことです。横線の幅を6ミリ、縦線の幅を1センチと決めました。しかし画数の多いものはこれがほとんど当てはまりません。例えば、「輸」の字は縦線が7本あるので6センチ角に収める為には当然1センチ幅は確保できません。単純計算すると6ミリ位になるでしょうか。しかしすべてを6ミリの線で描くと他の文字とバランスがとれなくなってしまいます。1センチの線幅を持った字と並べても違和感のない「柱になる線」が必要です。どの線を柱にし、他の線との差はどれ位にしようか。差がないと他の文字と違和感ができ、差がありすぎると、一文字のなかで、違和感ができます。又、サンズイやヨツテンの三角形、ニンベンやヤネの一画目のハライなどを縦線の1センチの重さにあわせるのは簡単なようですが難しい事です。一文字の規模で見れば問題はないかもしれませんが千単位の文字を長い時間かけて創っていると、実にばらつきがでてしまいます。最終的には全文字が揃ったあかつきに全体を眺めてみないとわからないのかもしれません。しかし全文字揃ったところでまた延々と修正を加えることになるのでしょうか。

 3、サイズの統一
 鉛筆で6cmの枠を描き、枠の中にタテとヨコのセンターラインを引きました。この6cmの枠は出来た文字がこのサイズに見えるという目標であって、制作する立場でいうと、これが案外たしかなものではありません。この枠より内目に描く文字と外目に描く文字がありその区別はこれまでの経験からくる「感覚」だけが頼りです。中に引いたセンターラインも同じです。文字のセンターがそこを通るという目標であって、はたして成功しているのかどうか、文字にもよりますが一文字の原字を見るかぎり正確には判りません。完成した文字にあとからセンターをつけるという習慣が今までありませんでした。そういえば文字を一文字単位で見ると言う事があまりなかったと思います。これは文字を組んでみて微調整するしかないようです。センターが狂っていると、たて組のときは左右に、よこ組のときは上下に文字が波打ってしまう事になります。

 4、雰囲気の統一
 同じ書体を5年もかけて創っていると、その間に「うでが上がる」らしいのです。初期の頃の文字を見てみると稚拙で欠点がたくさん見えてきました。目標に向かって前進どころか大きく後退する事になりますが、ここは初期の時点に戻って、修整する事にしました。しかしやってみると修整する程度では問題が解決しない事がわかり、やむなく初期の頃描いた数百文字を初めから描き直す事にしました。幸か不幸か出来が悪すぎてゴミ箱行きも思ったよりショックではありませんでした。
 そのあと描いた文字も一文字ずつ見ていると判らないのですが、できた文字を順を追って見てみると、雰囲気が違うのに気がつきました。前の文字ほどこじんまりとしておとなしく、後に行くほど線が伸び伸びしていて文字が生き生きと見えます。手がこの書体に慣れてきたのでしょう。気になるところは修整していますが、これも時間をかけて創る書体づくりの難しさだと思います。
 原字づくりには、とても多くの時間を使いましたが、それは今までの仕事の延長だったといえます。しかし、その先の事は今まで経験した事のない未知のものでした。「ケント紙に墨で描いた原字が確かにここにあります」しかし、どうすればこの文字がキーボードから出てくるのでしょう。とりあえず迷路の門をくぐりました。どうなる事やら……。
 
●原字づくりの後の事
試行錯誤しながらも、なんとか私なりに文字をデジタル化しました。原字の段階では同じ部首が使えませんでしたが、デジタルデーター化の段階ではなるべく可能なものは使う事にしました。紙の上では難しかったのですが、モニターの画面では何とか作業する事ができました。そうする事によって、ここに書いた4つの統一のうちの1、2、4、の問題が比較的軽減したのではないかと思います。
 始めはこれまでの習慣で、文字が紙に描いてあり、しかも墨で塗りつぶした状態でないと文字のバランスが見えにくいということがありました。それがデジタルデーター化する頃はモニターの画面で、私なりに文字のバランスが見えるようになって、原字そのものを画面上で、修整することも可能になりました。又、デジタルデーター化する段階で、長い時間をかけた原字づくりに随分ムダが多かった事がわかりました。文字の水平垂直、文字のカドや先端やカーブなどにたくさんの時間と神経を使いましたが、これらの事はパソコンが得意とするところであり、パソコンに任せればよい事でした。「とりあえず原字を作ろう。あとの事はあとで考えよう。」この計画性の無さが問題だったようです。
 レタリングの仕事をしているときは、「仕事に飽きる」ということはありませんでした。ひとつひとつの仕事はサイクルが短く、毎日同じ事の繰り返しにみえて、日々小さな発見もあり、自分の描いた文字をみて「いい字だなア。」と思えた時は喜びもありました。(自分で誉めてますよ。失礼しました。しかしその逆もしょっ中です。)そのような事が日々の気分転換になっていました。ところが「豆太郎」の制作は、膨大な作業量、延々と続く修整、紙の上に墨で、厳密に描いたつもりの原字をもう一度マウスで辿らなければならないつらさ。特にデジタルデーター化の作業は飽きてしまい集中力を保つのに苦労しました。気力が新鮮なうちは曲線が描けてもそれは長い時間続かず、疲れてくると直線しか描けなくなりました。

 某フォント作りソフトのマニュアルに「フォントを作る楽しさと苦しさ」という言葉がありました。これは書体を創る人達の共通した実感なのだと思います。

 
 
レタリングを始めた頃の事
 子供のころ田舎で近所のおばあちゃんたちがよく話していました「わたしらは手に職がないけど、何と言っても手に職だよ。女もねエ。手に職がなくちゃだめだヨ」。子供心にいつの間にかしみ込んでいった「テニショク」。「テニショク」が大事なんだと子供の頃から思っていました。そして私にとってその「テニショク」はレタリングになりました。

 私の叔父が静岡県H市でグラフィックデザインの仕事をしているのですが、その叔父の仕事の中でレタリングの仕事が印象に残っていたのだと思います。子供のころ叔父が見せてくれた細い筆。細い細い筆の軸に6〜7ミリの毛が数本ついているだけ位の筆。こんなに細い筆があるなんて、お習字用の筆しかしらなかった私はびっくりしました。それから叔父が見せてくれた「みぞ引き」の技。子供心に、すごいと思いました。叔父にときどき私のお習字用の墨を貸してあげる事がありました。子供の私は墨を擦るのにクセがあってななめに擦りへってしまうのです。その墨が叔父から返ってくるとちゃんと真直ぐになっていました。子供の私はそれがとても嬉しかったのを覚えています。その叔父の影響で、世の中にこういう仕事があるということを知りました。

 上京してしばらく後、グラフィックデザインの会社に入社しました。私が入社した頃は、会社の仕事自体レタリングの仕事が多かったのです。入社してしばらくは明朝体ばかり描いていました。朝日新聞活字を見本にしてとにかく忠実に描く事を目標に一生懸命でした。一文字一文字、一画一画、見本と首っ引きの毎日でした。随分時間をかけて鉛筆で下書きをしました。何度も消しゴムで消すので紙の表面があれてしまいます。先輩たちは下書きにほとんど消しゴムをつかう事がありません。こういう時期がどのくらい続いたのでしょう。正確には覚えていませんが、とにかく朝日新聞活字の本がボロボロになった事は覚えています。そして、ちょっと不思議な経験をしました。くる日もくる日もまるで自分の分身のように離せなかった見本帳。なにはなくとも見本帳。見本帳を脇に置かなければ仕事が始まりませんでした。その見本帳がある時突然手離せたのです。本当に、ある時突然に。その時があまりにもくっきりしていたのがとても印象に残っています。毎日少しづつ文字の骨格を学び、ある程度感覚としてわかるようになって、その時期が自然にきたのかもしれません。もちろんその後もしょっ中取り出して見てはいましたが、見本帳の置き場所が、机の中心的な場所からいつの間にか少しづつ遠ざかっていきました。

 私がそのように見本帳をみながら毎日明朝体を描いていた頃、まわりでは先輩たちが自由自在に文字を描いていました。明朝、ゴシック、そしてフリースタイルの文字。フリースタイルの文字は個性的で、見ているだけで楽しかったものです。例えば「家族で遊んだ楽しかった休日」という記事に使う見出し文字は、本当に楽しそうに字が踊っていて、はちきれそうに明るく、文字の骨格も実に自由なのです。左右対称の文字が左右対称でなく、四角い文字が四角でなく、ハネもハライも濁点も遊んでいるのです。私もこのような文字が描けるようになるのだろうか。私がフリースタイルの文字を描くようになったのは、朝日新聞活字の見本帳を放してからもっとずっと後の事でした。フリースタイルの文字は明朝やゴシックの基本書体がかけないと描くのが難しいと思います。文字の基本的な骨格をこわしてバランスをとるからです。基本書体の骨格を理解してはじめてうまく骨格をこわす事ができ、バランスをとる事ができるのではないかと思います。

 明朝体は前記のように見本帳と首っ引きで学びましたが、ゴシック体をそのようにして学ぶ事はありませんでした。そのため長い間ゴシック体が書けなかったのを覚えています。書けなかったので避けていたと言う事もあるかもしれません。職場にはゴシック体のうまい先輩がいたり筆文字のうまい先輩がいたりして全体として仕事はうまく流れていたのでしょう。今は反対です。ゴシック体の方がかきやすく、明朝体は今でも苦手意識がぬけません。一度でいいから、ほれぼれするような、目のさめるような明朝体を描いてみたいとときどき思う事があります。(注:ゴシック体の方が描きやすく、明朝体は難しい。というのはあくまでも私の場合です。その逆の方もいれば、両方を得意とする方もいます。)