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「時々書くかもしれないメモ」略称「時々メモ」です。
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10・01・16 今も「茶太郎」制作中 茶太郎は一旦完成させたのですが、どうしても気にいらなくて、全面的に創り直しをしています。 これら、まだまだ目標ははるか遠く、先が見えません。 |
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07・07・22 豆太郎・豆の助・梅丸のアウトラインデーター販売休止(再開未定)のお知らせ 誠に勝手ながら、下記の理由からアウトラインデーターの販売を休止させていただきたいと存じます。 (1)文字制作に専念するため ご利用いただきましたお客様には大変ご迷惑をお掛けいたします。お詫び申し上げますとともに、これまでのご利用、ご登録、誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。 |
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07・01・01 謹賀新年 新年 あけまして おめでとうございます。 昨年中はお世話になりまして、ありがとうございました。 今年は「亥年」なんですね。文字制作が思うように進まず、もたもたしておりますと、干支の動物たちが、どんどん通りすぎてゆきます。 「猪突猛進」の亥君の勢いがまぶしく感じられますが、今年も牛の歩み、亀の歩みで頑張りたいと思います。 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 |
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06・09・13 描き文字見本の本
(1980年9月1日発行。使いやすさを考慮し、背は軽い糊づけで、ページが離れやすいようになっています。 |
私は昔、デザイン会社で描き文字の仕事をしていました。その頃、写植の時代ですが、見出しとして使える書体がまだ少なく、描き文字の仕事がたくさんありました。
描き文字は原稿をはじめて見た瞬間、それまでの経験から何かしら沸いてくるイメージがあります。 お客さんはお客さんでイメージを持っていない方もいれば、強いイメージを持っている方もいます。そのようなお客さんからは「食欲のわくような字で」とか「力強くも繊細な字で」とか「おもわず旅に出たくなるような字で」「泥くさい字で」などという注文がついたりします。 そこで、私が所属していたデザイン会社では「描き文字見本の本」を作る事になりました。1980年の事です。 ところが、この本をお客さんに使ってもらっているうちに別の悩みが出て来ました。描き文字見本の本を効果的に使ってくれるお客さんばかりではないのです。 楽しい内容のタイトルを楽しい書体で描きたい描き手は楽しくない書体を使うという制約の中で楽しさがなかなか出せないという新たな悩みをかかえる事になった本でもありました。 |
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06・08・10 夏期休業日のお知らせ
暑中お見舞い申し上げます。 |
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06・01・05 新年
新年あけましておめでとうございます。 |
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05・12・30 年末年始の休業日のお知らせ
年末年始の休業日…12月30日〜1月5日 |
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05・5・17 ヒヨコの思い出 私が小学生だった頃、4月8日には「花祭り」の行事がにぎやかに行なわれていた。「サーカス小屋」もあったし、いわゆる「見せ物小屋」もあった。また縁日によく出るいろいろな露店もたくさん並んでいた。 ある年、いつものように「花祭り」を見に行った時「見せ物小屋」のそばを通った。すると「蛇喰い女」をやっていると周りの大人たちが話しているのが聞こえた。私は蛇が大の苦手だが、恐いもの見たさで恐る恐る小屋のそばに行ってみた。しかし外から中がのぞけないように杭がうってあり、そこにロープが張ってあった。私はロープのところまで行って、なにげなく杭に手を置こうとしてびっくりし、思わずひっくり返りそうになった。杭の上には三角形をした蛇の頭が置いてあった。 |
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05・5・12 小さな池の思い出 私が小学生だった頃、廊下の脇に父が作った小さな池があった。大きさは、私の記憶では90センチ×70センチ位だろうか。おはぎのような楕円形をしたかわいい池だった。底は平らではなく、おわんのように丸く、子供が魚を飼うのにちょうど良いくらいの深さをしていた。 この楕円形の小さな池の中で、たくさんの小さな生き物たちが暮らした。金魚すくいですくった金魚、弟が釣ってきたフナ、「ぶったい」(魚を捕る道具の一種)ですくったどじょう、近くのT池で捕まえたカメなどだ。気が向くと麩をちぎって餌として与えたが、気がむく事などめったに無く、それでも小さな生き物たちは元気に暮らしていた。池のまわりに植えてあったささやかな植物から落ちてくる虫などを食べていたのだろう。 時々ちん入者もいた。カエル、げんごろう、あめんぼ。そして、ある夏の暑い盛り、ヘビが水浴していたこともある。そして、めったに無い事ではあるが、時としてとんでもない大きな生き物がちん入した。それは、廊下から落ちた私であったり、弟であったりした。 この池は父が穴を掘り、セメントで丸く固めただけの素朴なもので、水替え装置などはもちろん無い。雨が降ると池からは水があふれ、自然に水替えになっていた。日照りが続いても池が枯れるという事はなく、そのうち雨が降って池は再び満水になった。 私の遠い記憶の中の風景に「小さな池」がある。だから、あれから何十年たった今でも「水槽」ではなく、小さな池が好きだ。ベビーバス(赤ちゃん用のプラスチックのお風呂)位の大きさのプラスチック製の「ひょうたん池」で今も生き物を飼っている。今は近所のTさんの家から7年位前にもらったヒメダカが毎年卵を産み、絶えることなく元気に生きている。昔とちがい保護されて、栄養バランスのとれたメダカ専用の人工餌など食べながら… |
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05・5・06 絵
私には「絵を描く」という習慣がない。一生懸命一枚の絵を描いたのはいつだったろう。 一言の誉め言葉もなくいきなりこう言われたので、ちょっと悲しかった。・・・今だったらこう思う。「たくさん咲いているのはわかる。確かに一斉に花開いているところが美しい。でも、私はそのなかでも自分がみつけた一本のコスモスを描きたかったのだ」と。 その次の日の事だった。朝、いつものように登校した私は教室に1歩入ってびっくりした。教室の正面、黒板と天井の間に、私が描いたコスモスの絵が額に入って飾られていたのだ。その絵は学年が終わるまでそこに飾られていた。 参加者たちは宿に荷物を置くとさっそく各々自分がキャンパスに収めたい風景を求めて画材を担ぎ散っていった。 絵を描き終えるとその人は絵とイーゼルを片付け、下に敷いた新聞を丸めると車に放り込み去っていった。その間、ものの30分位だろうか。 目の前にある「蓮の葉で覆われたあまり見栄えのしないタダの池」がデフォルメされ、遠近感が強調され、それはそれは美しい見事な風景画に変身していた。 私達は目の前の出来事にただただ圧倒されていた。 |
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05・4・24 鉛筆とシャープペンシル 私はレタリングの下書きにはシャープペンシルを使っていた。もともとは鉛筆を使っていたが、いつの頃からそうなったのだろう。本当は鉛筆が大好きなのだ。手にやさしい木。自然素材はそれだけでも心が安らぐ。そしてあの六角形、転がりにくく、握った時に3本の指の中にぴったりと収まる計算された形状、そして心地よさ。さらに、少し位強めの筆圧でも折れない強さ。シャープペンシルはそのどれもがかなわない。 小学校の頃、各教室には手動の鉛筆削り機が一つづつ備えられていた。お当番の子はその鉛筆削りの削りカスを捨てるのも役目だったりした。だから、たぶん、そのために、私は鉛筆を手で削る事ができない子だった。子供によっては筆入れの中に「ぼんナイフ」とかいうものを入れていて器用に削る子も居ることはいた。鉛筆を手で削る事が苦手なのはその後も変わる事なく現在に至っている。 昔、小学校の頃、鉛筆は貴重品だった。そのため鉛筆の両側を削っている子が結構いた。そうすると、片方が折れてもすぐ、反対側にもちかえればいい訳で1本で2本分使えると言う訳だ。そういえば、赤と青が1本の色鉛筆になっているのもある。これも両側を削りクルクルと持ちかえて2色を交互に使い分けできるというものだ。ただ、これは赤と青が同じスピードで減ってくれれば良いのだが、たいてい片方の色が残るのでこれが何となく気分が良くなかったりした。 昔、鉛筆は確かに貴重品だったけど、両側を削るのは好きになれなかった。尖った先端の片方がこちらを向いている事が子供心にちょっと不安だったのだ。 反対側といえば、鉛筆の後ろに消しゴムがついているのもある。しかしこの消しゴムが使い物にならないくらい消えない。こすると逆に紙が黒く汚れてしまったりする。せっかくのアイデアなのに残念だ。 鉛筆と消しゴムはセットで使われる。鉛筆があるから消しゴムの存在価値があり、消しゴムがあるから、安心して文字が書ける。失敗してもOK。いくらでもやりなおしがきく。その安心感は「鉛筆&消しゴム」ならではの個性だ。 私が仕事用具としての鉛筆をシャープペンシルに替えたのは鉛筆は手間がかかりすぎるという事とムダがあるという理由からだ。手間というのは鉛筆を削る手間、ムダというのは最後まで使えないという事。削る手間といっても鉛筆削り機で削るのだからいいようなものだけど、0.5mm位の芯先をいつも保っているのはやはり手間だといえる。ムダというのは、最後どうしても握った時に手の内に入る位の長さは使い残してしまう事。補助ホルダーを使えばもっと使えるけれど、それだと鉛筆削り機で削れない。 前述の鉛筆の長所を考えれば、これらは「必要なムダ」なのかもしれない。しかし、仕事の道具としてはシャープペンの方が機能的だと思われた。いくら使っても芯の太さはいつも一定。最後の1センチ程度はムダになるけれど…。 ただし、仕事以外でシャープペンを使う事はほとんどない。やっぱり鉛筆が好きで、また前述の鉛筆の魅力に話は戻ることになる。 |
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05・4・8 目のこと
紙に墨で文字を描いていた頃、紙の白、墨の黒のコントラストの差からくるストレスにゼットライトの光が加わって目を酷使していました。ライトは始めは100Wの電球を使っていましたが、いつの頃からか60Wになり、その後、30Wになりました。それでも強く、ライトを少し遠ざけたりして調整していました。 |
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05・3・6 叔父さん
2005年3月6日、静岡県H市で長い事グラフィックデザインの仕事をしていた叔父が永眠した。おじには娘が3人いたが、どの娘も仕事の面では父である叔父の影響を受けずに来た。どういう訳か、姪である私がおじの影響を受けた。 |
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05・1・24 ロット
一枚のセーターを編む時、当然の事ですが必要な数の毛糸玉を用意します。20個にするか、21個にするか、それとも19個で足りるのか。最初の考えどころです。 |
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04・12・25 子どもの頃
子どもの頃、冬はとても寒かった。暖房はやぐらごたつが一つと火鉢だけ。手にはあかぎれ、足にはしもやけがいつも出来ていた。しもやけには焼いたじゃがいもを当てたり、お湯の中でもんだりと大人たちがいろいろためしてくれたけど、結局それは春にならなければ治る事はなかった。 |
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04・12・8 今年もわずか
今年も残すところわずかとなりました。 |
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04・4・9 溝さしとガラス棒
長く使った道具のひとつに「溝さし」があります。30センチの竹製のものさしです。何本か使いましたが、今手元にあるのは、一番古くからのものが1本だけです。溝さしの裏側のマジックペンで書いたメモはもう30年も前のものです。 新しい竹のものさしを水平に置くと真直ぐではなく、目盛りを刻んだ表側が反って、すこし山なりになっていますが、目の前の溝さしは、長いあいだのガラス棒による圧力で反対側に反っています。角という角はすべてとれ、なめらかで、握りやすく、手にやさしい、かけがえのない道具になりました。 セットで使うガラス棒は、玉が片方だけに付いている物、両端に付いている物、また、棒の中が空洞になっているもの、なっていないものがありました。中が空洞になっているガラス棒は軽く、割れにくく私は好きでした。玉の大きさもいろいろで、実際に使ってみると溝さしの溝に合うものと合わないものがありました。玉が小さすぎると溝にハマって滑りにくく、玉が大きすぎるとカーブを描く時溝からはずれてしまうのです。結局、ちょうどいいものが2本ほど今も残っています。 仕事道具の中でも、一番使用頻度の高かった溝さしとガラス棒。今では出番も少なくなりました。 |
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04・3・31 Oさん
昔、一緒に仕事をしていたOさんは物を大切にする人でした。仕事道具を入れる箱の中に、他の道具と共にいつも一枚のプラスチックの小さな飴色の三角定規が入っていました。それは子どもの頃、Oさんが使った50年も前の物です。ひらがなで名前が書いてありました。三角定規は50年たっても現役で、大切にされ、働いていました。Oさん、あの三角定規はどうしましたか。今もきっと、あの時のままなのでしょうね。 |
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04・2・12 マウス
今日、旧タイプのmacにつなぐシリアルポート接続のマウスを買いに行きました。「そのタイプですと、この商品のみになります」といって店員さんが出してくれたマウスを今日使ってみたんですが、これが実に大きくて、重たいのです。 |
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04・1・12 「茶太郎」「風邪」「おいっこ」
ただいま「茶太郎」を制作しています。今年の内になんとか形になればと思っています。 |
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03・11・03 かな書体「梅丸」-2
かな書体「梅丸」ができました。 |
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03・9・28 かな書体「梅丸」-1
「茶太郎」の制作中ですが、一時中断して、「梅丸」を先行する事にしました。ひらがな・カタカナだけの書体です。仮名だけのタイトルや商品ロゴ等にお使いいただければ幸いです。なるべく早い完成をめざしています。 |
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03・8・12 折り紙
近所の子どもに「手裏剣の折り方しってる? 知ってたら教えて」と途中まで折ってあるらしい折り紙を差し出されました。確かむかし息子がまだ幼かった頃、折った記憶がありますがすっかり忘れていました。「ごめんね〜、忘れちゃった〜」と言ったもののどうやって折るのか思い出したくなって来ました。 それから一週間ほどして、偶然、折り方を知っている知人に会いまして教えてもらいました。その事がきっかけとなり、久しぶりに折り紙を折ってみたくなりました。インターネットで折り紙のHpを探したらありました、ありました、折ってみたくなるものが・・・いろいろと。 そのような訳で昨日分の予定の「茶太郎」が出来ませんでした。(厳密ではありませんが、一応「茶太郎」の一日の制作目標らしきものを決めているのですが・・・) |
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03・7・30 「茶太郎」のData化
ただいま「茶太郎」の原字をData化しています。スキャナーでとりこみアウトラインを抽出したものにパスの整理を加えつつ文字の乱れを整えています。 「茶太郎」にはこの「文字のルール」がありません。決まった線が有って無いようなものです。長い間の習慣で、つい文字を整えすぎてしまいそうです。多少のゆがみ、線の曲がり、アキの不均一などを直してしまいそうになります。又ある程度直す必要もあるので、その辺の兼ね合いが課題といったところです。 |
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03・6・27 角 丸
楕円設計さんの「きちんと角丸」現在販売されていないのですね。「茶太郎」のあとは「豆太郎」の角を丸めた書体を創ろうと思っていたのに、残念です。何人かの書体デザイナーの方々が推薦されていましたので、使うのを楽しみにしていたのですが、まだ入手していませんでした。 |
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03・5・21 茶太郎
「茶太郎」は原字を3000字位描きました。雰囲気が確かに安定してきたと思います。 |
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03・5・6 食べたい物は
5月2日〜3日、近所の病院に1泊入院して、大腸ファイバーの検査を受けました。検査日の2日前、3日前は禁繊維食、前日は検査食です。検査食は3食分が1箱になって市販されていますが、毎度の事なので自己流です。病院でもらった献立のモデル食は、朝の主食が「何もつけないパン」とありましたので、食パンを1枚半とコーヒーにしました。昼のモデル食の主食は「かけうどん」となっていましたが、うどんの買い置きがなかったので、やはり食パン1枚半とコーヒーにしました。夕食は「葛湯」となっていましたが、葛湯はないので、食事ヌキにしました。この頃どっと空腹感が襲ってきました。 |
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03・3・31 春
お元気ですか? |
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03・1・22 制作中
「茶太郎」の原字は白い紙に墨でいきなり直に描いています。骨格からデザインする文字と違って偶然に形ができるという要素もありますので、文字コード表を眺めながら、気分優先で、気が向いた文字から描いています。画数が少ない文字が気が向く傾向にありまして、画数の多い文字がだんだん残ってきました。どうなる事やら・・・ |
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03・1・3 九十九人一首の思い出
私が小学生だった頃、お正月によく百人一首をして遊んだ。子どもだけでやるのは主に「坊主めくり」だったが、大人と一緒に、札を拾う普通の百人一首もやった。又、二組に別れ、拾う札も二つに分けて勝敗を競う百人一首もやった。それは「源平」という名の遊びだった。二組はお互いに向かいあって自分達の札を見つけやすく、そして拾いやすいように並べる。読み手の読み上げる歌を自分達の札の中から素早く見つけようとするのと同時に相手の札にも目を光らせ、相手側の札を取ると、こちら側のまだ拾っていない札を一枚渡す。そして札が早く無くなった方が勝ちというものだ。大人と子どもが一緒になって夢中になったお正月の楽しい遊びだった。 |
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